イタリアおいしいもの探しの旅─4月7日 フォンタナフレッダ社訪問

2005/04/07
突撃インタビュー
 
2005年4月7日 フォンタナフレッダ社

イタリアおいしいもの探しの旅─4月7日 フォンタナフレッダ社訪問

フォンタナフレッダ社の前
フォンタナフレッダは、本当に小さな生産者の多いバローロエリアで、エリアきってのNO1の所有面積を誇る銘醸。
それまで都市国家が並立していたイタリア全土を一つの国家にした、イタリア建国の父‘エマニュエルヴィットリア2世’が、フォンタナフレッダを所有。2番目の妻ローザ夫人との間に出来た子供がワイン造りに積極的に取り組み始めたというとっても由緒正しいワイナリーです。

今回フォンタナフレッダ社のヴィッラに宿泊させていただき、夢のような貴族の館で1夜をすごすことができました。

フォンタナフレッダ社の歴史

ワイナリーの説明を30年来、フォンタナフレッダの販売にかかわるオルネッラ女史に受けることが出来ました。

大樽の前で説明するオルネッラ女史オルネッラ女史「フォンタナフレッダはバローロ最大の生産者です。110haの土地を所有し、うち70ha。そのうちの44haがネッビオーロを栽培しています。本当に、ぶどうだけを作ってあとは、共同の施設に持ち込んで絞ってもらうような小さな農家ばかりなので、そういう意味では、私たちのこの畑の大きさは本当に飛びぬけているんですね」

吉田(私)「ああ、共同施設というのは‘テッレ デル バローロ’のような協同組合のことですね。」

そうそうというような指差すようなジェスチャーをするオルネッラさん

吉田(私)「バローロ全体の面積というのはいくつあるんでしょう?」

オルネッラ女史「トータルバローロでは1600ha。そこには11の村があり800の生産者がいます。そして、600万本のワインが生産されています。」

吉田(私)「1600haのうちの110haをフォンタナフレッダ1社で所有しているわけですね。すごい面積ですね。」

オルネッラ女史「ご覧の通り、ものすごい量のワインを製造、熟成させています。フレンチオークの小樽は全部で13500個。スロベニア製の大樽もご覧の通り。大樽の洗浄は大変危険です。ですから、中を洗うときは、2人の人間で、1人が中に入り1人が外で倒れたりしないか見ているんですね。桶を空っぽにしたあとも、発酵中の酸素がない状態があって、中で洗浄中に倒れたりするケースがあります」

並ぶ大樽吉田(私)「ああ、日本酒と同じですね。日本酒ももろ味の発酵中桶の中を覗いたりするのはとても危険なんです」

オルネッラ女史「これは、ここ、フォンタナフレッダの古い地図です」

吉田(私)「ほんとだ、名前の由来のフォンタナフレッダ(冷たい泉の意味)という泉はこれですか?」

オルネッラ女史「はい、それです。その泉がフォンタナフレッダであることに違いはありませんが、もともと、このエリア全体が他の土地とは違う特徴を持っていました。このフォンタナフレッダのエリア全体が湧き水が非常に多く出るところだったんです。だから、古くから、この私たちが所有するこのエリア全体がフォンタナフレッダと呼ばれていました。そして、ご存知のとおり、1931年に、フォンタナフレッダはシエナの銀行に買収されたのですが、それ以前は、‘ミラフィオーレ’という名前が、この土地でできるワインにつけられていたのです。そして、その名前は、その買収時に、ガンチア社に売られてしまい、では、これから売るワインになんという名前をつけようかということになって、このエリアの名前であるフォンタナフレッダという名前がつけられることになったんです。」

吉田(私)「え~。そうなんですか・。ガンチアにそういう名前のワインが・・ありましたっけ?」

オルネッラ女史「その後、ガンチアも‘ミラフィオーレ’という名前を活用できてないようですね。」

19世紀後半のセラーにて

19世紀後半のセラー

オルネッラ女史「19世紀の終わり、イタリア最初のセメントタンクが使用されたのがこれです。そしてむこうにある、あの狭い廊下を通って、50Lのモストを背中に労働者が背負ってこのタンクにいれ発酵させたわけです。」

細いトンネルのような廊下そういって、細いトンネルのような、くだりの廊下を降りていきました。
ここを19世紀の終わりに何人もの労働者が苦労して50Lのモストを背負い行ききしたのかと。。思わず想像してしまいます。おそらく相当な重労働だったにちがいありません。

吉田(私)「本当に日本の酒造りの様子と一緒ですね。日本の酒造りも昔は、米や麹を息せき切って、担いで蔵人が運んでいたんです。今でもそういう様子を小さな蔵に行くと見ることができます。」

 

ステンレスの発酵タンクを見ながら

ステンレス発酵タンク
オルネッラ女史「現在は、ステンレスの発酵タンクがあり、タンクの周りを周っている管の中を水がながれていて、ワインの発酵が適温で行われるようにコントロールできています。セメントタンクのあった場所は非常に温度が安定していたので、醸造に適した場所ではありますが、今は、このような形で発酵させることができるので安心ですね」

吉田(私)「この温度管理のしかたなども日本酒の酒蔵でよく見る原理です。日本酒では出来るだけ低い温度で長く発酵させるといい酒ができるなんていわれていますが・・」

オルネッラ女史「ワインも同じです。酵母が活動しすぎない適温という温度があり、白なら24~25度、赤なら31度~32度で発酵させています。だいたい10日~12日くらいの発酵期間ですね。ドルチェット種は4~5日と短いです」

お互い、醸造関係の話は簡単に理解することができ、お互い第3国の言葉の英語でもなんとか会話が成立。ほっとしました。

デキャンタージュをするロベルト デ シモーネさん最後に、見たこともないテースティングルームに来る。

試飲した後に、ワインを吐き出すボールは、小さなシャワーがついていて洗い流せるようになっており、最新の設備に驚くばかり。

吉田(私)「フォンタナフレッダのバローロの商品構成は・・・どうなって・・」

オルネッラ女史「大きく3つに大別できます。1つはシルバーラベルのバローロ。これは、自社と購入したぶどうで造られるもの。2つ目はヴィラージュと呼ばれるタイプ。これは、セラルンガなどに代表され50%が自社のぶどうで造られます。そして、シングルヴィンヤードもの。これは畑名を名乗るワインでラローザなどですね。」

チーフエノロゴのダニーロ・ドロッコさんがお休みのため、セカンドエノロゴのロベルト デ シモーネさんがテースティングに立ち会ってくれ、解説を得ることができました。 特につくづく感じたのは、バローロの地域内での味わいのちがいのこと。

女性的男性的などといわれる味のニュアンスが今回、ラローザ(女性的)、ラヴィッラ(中間)、ラッツァリート(男性的)の3種のバローロを同時に試飲することによって感じ取ることができました。

テイスティングワインまた、ピエモンテ州が、2004年ヴィンテージより公式に、サブゾーンの呼称を認めたということ。

これにより、フォンタナフレッダが文字通りサブゾーンと認められ、カンヌービなどと同列の呼称となったという、話を耳にすることができました。 フォンタナフレッダは伝統的なバローロの継承者として、最新技術を導入しながら安定して優れたワインの提供者として、また、安定した資本を背景に、これからもますます期待が出来るワイナリーという印象をうけました。また、ラローザに代表される新たなバローロのスタイルの追求に余念がありません。

(★ちょっと解説(^o^)★※バローロ ラッツァリート ラヴィッラこの場合ラッツァリートがサブゾーン、バローロ フォンタナフレッダ ヴィーニャ ラ ローザこの場合のサブゾーンはフォンタナフレッダ。前述したとおり、フォンタナフレッダはメーカー名のみならず、エリア(サブゾーン)をさしているため)

バリックまた、経営者である銀行の関係で、トスカーナにポッジョボネリというワイナリーを所有。エノロゴにはかの有名なカルロフェリーニを迎えてワイン造りに取り組んでおり、そちらの方も今後どういう展開を見せてくれるか本当に楽しみです。

インタビューを終えて
フォンタナフレッダは、敷地の中に、従業員が住んでいるという昔ながらのスタイルが残っていたり、その広大な面積には驚くばかりでした。また、企業風土のよさも感じ取ることができ、スタッフの方々が、日本企業のように、細やかに日々業務の改善に取り組んでおられる姿を見ることができました。
近年、はやりの、果実味豊かなすぐに飲めるバローロとはまた、一線を画すバローロ造りは、歴史あるフォンタナフレッダの仕事にふさわしく、食事とともに楽しむ基本のバローロとして、まずは知って欲しい1本といえます。
大樽によるバローロを知ってから、スピネッタのような、革新的バローロを飲むことは、また、両方のバローロをさらにおいしく飲ませてくれることに間違いありません。

それにしても、非常にすばらしいスタッフの方々のフレンドリーなもてなし。心を打たれました。

記念写真
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