自然派ワインの先駆者「ヴィナイオータ」太田久人氏に聞く自然派トスカーナ「パーチナ」Part1

2018/09/06
突撃インタビュー
 
2018年5月16日 ヴィナイオータ 太田 久人氏

自然派ワインの先駆者「ヴィナイオータ」太田久人氏に聞く!
歴史的農法を守り抜く自然派トスカーナ「パーチナ」Part1

ヴィナイオータ 太田 久人氏と
ラ ビアンカーラ、マッサヴェッキア、フランクコーネッリッセン、ヴォドピーヴェッツ、カーゼコリーニらを始め綺羅星の自然派ワイン生産者を輸入するインポーター「ヴィナイオータ」さん。「自然派ワイン」というフレーズが無いに等しかった20年前から、情熱をもった造り手達を訪ね、ブドウ本来の豊かな味わいが詰まったナチュラルなワインを日本に紹介する先駆者的存在です。今回ヴィナイオータの太田 久人氏に歴史的農法を守り抜くトスカーナの自然派「パーチナ」を試飲しながら、太田氏とパーチナの出逢い、ワイナリーの歴史、生態系を尊重したパーチナのワイン造り、パーチナのこだわりが詰まった素晴らしいワインのエピソードについてお話を聞きました。

Part1ではパーチナの歴史、ワイン造り、当主ジョヴァンナと夫ステファノ、その家族についてお話を聞きました。

何でもないイタリアの野菜やトマトに「底力」みたいなものを感じますね。
「あっ、やっぱり違うな」って

太田氏インタビュー14月に3週間で30以上の生産者と逢ってきました
4月に3週間程、イタリアに行っていました。30以上の生産者(40まではいかないですが、、)と逢ってきました。出来る限り午前中にワイナリー1軒、午後に1軒と廻る形にして。3週間車を借りっぱなしで計2800キロ移動しました。今回は1人で移動だったので少し気楽な面もありましたが(笑)。基本的にワイナリーしか廻らないので、基本的にはワイナリーで食事をするか、ワインを飲むかになってしまいますね(笑)。4月はいきなり暑くなったみたいで殆どシャツ一枚で過ごしていましたね。ただ今は凄く雨が多いみたいで・・・

ワイナリーで食事をとる事が多いのですが、そうすると逆に日本で食事をする時の「気づき」も多くて。日本のイタリア料理店で出される料理は、レストラン仕様に味が強く作られている事に気づくんです。

ラディコンの家で食べた「ミートソース」に気づかされる
例えば「ミートソース」があるじゃないですか。あれってソフリット(玉ねぎ、にんじん、セロリ等の野菜)をあめ色になるまで炒めて、そこに挽き肉入れて、赤ワインとトマトソースを入れて1時間から1時間半くらい煮るって言うじゃないですか。

だけどフリウリの「ラディコン」の家で玉ねぎ炒めるところからソースが完成するまで、ものの20分位しか、かかってないんですね。「えっ、これでいいの?」って(ラディコンに)聞いたら、「あなたね、煮詰めたらお肉(挽き肉)は小さくなるの。水分が飛ぶから(ソースの量に対して)当然味は濃くなるけど、同じ量を食べようと思うなら、摂取量が増えてしまって(食べる事に)負荷がかかってしまうの。だから出来るだけお肉から水分が飛ばない状態にしているの」と。

パーチナジョヴァンナ女史何でもないイタリアの野菜やトマトに「底力」みたいなものを感じますね
満足感は得られて、味わいは実は軽い。このような料理を毎日食べている彼らだから、毎日食べる用に自分たちでカスタマイズしているのです。とても当たり前な事に日本で食事をしている時に気づかされると言うか、、。何でもないイタリアの野菜やトマトに「底力」みたいなものを感じますね。「あっ、やっぱり違うな」って。

比較的手間かけずに健全なブドウが日本に比べ成りやすいイタリアの気候
ブドウの場合だと、ブドウの花が咲いてから実が完熟するまでの期間を仮に5~10月位と設定してみると、1年を通してみると、日本とイタリアって年間の平均降雨量は日本が(イタリアの)倍なんですね。ただ5~10月までと区切ると日本は梅雨があるので3倍も雨が降るんです。結局ブドウの花が咲いて結実するまでの間にそれだけ雨が多いとウドンコ病やベト病などの病害虫がつきやすくなってしまいます。それからしてみると、ただでさえ日本の1/3しか雨のリスクが無い。(簡単に出来るとは言わないですが、、)比較的手間かけずに健全なブドウが日本に比べ成りやすいとは言えると思います。

パーチナとの出会いは「鋭い感覚を持ったアメリカ人女性」がきっかけ

太田氏インタビュー2パーチナとの出会いは「鋭い感覚を持ったアメリカ人女性」がきっかけ
パーチナとの出逢いなんですが、イタリアワインに造詣の深いとあるアメリカ人女性の存在があったからです。ヴィナイオータを始めた位の頃ですから、およそ19年位前でしょうか。1999ヴィンテージが初めて取り扱ったヴィンテージです。

今私達が取扱っている「カーゼ コリーニ」にもその女性からの紹介でした。最初に「カーゼコリーニ」を紹介された時も、「ピエモンテのアスティの地で酸化防止剤も使わずにワインを造っている人がいる。でも無名なんですよ」と言われた時、最初は全然信じられなかったんですよ。それだけ凄い事をやっているのに無名であるはずがないと。ただその彼女は味覚というか、ものすごく鋭い感覚を持っていて、そんな彼女から紹介を受けたトスカーナのワインが「パーチナ」と「レ ボンチエ」でした。

実はキャンティ クラシコにも登録する事も出来た「パーチナ」
一般的にキャンティは、北はフィレンツェと南はシエナの間に広がるゾーンで、パーチナがワイナリーを構えるゾーンはシエナから東に向かった、カステルヌオーヴォ ベラルデンガです。キャンティのエリアとしてはほぼ最南端にあたる地域です。彼らはキャンティ クラシコにも登録する事も出来たんですが、彼らはそれを望んでいなくて。それでキャンティ コッリ セネージになってしまった、という所から始まる訳です。

Q.ワイナリーの歴史について聞かせてください。カンティーナ入口

「パーチナ」という農園は現当主夫人のジョヴァンナが実質上のオーナーで、ジョヴァンナのお父さんが買った農園です。彼女のお父さんは環境論者で、大量消費型の農業ではなく、畑で自己完結し、極端に何かを持ち込まずに様々な要素が有機的に関わるような農業を推奨していた有名な環境保護団体(Legambiente)という環境保護団体の創始者の1人でもあったんです。かつては普通に行われてきた農業形態の重要性を説き、自分自身の研究の実験場として「パーチナ」農園を買ったんです。

歴史ある修道院から成るカンティーナ
12世紀に、元々修道院だったところを建て増しして出来たパーチナのカンティーナは建物の一番奥の2~3階が住居になっていて、そこから細長い螺旋階段があり、上ると吹き抜けとなっています。その昔は「鐘」が鳴っていたと場所です。そうした修道院の名残みたいな場所に相変わらず住んでいるのです。昔修道院のあった場所と言えば、ブルゴーニュ等でもそうですがベネディクト派の修道院が開墾して良いブドウ畑が産まれています。大昔から良いブドウ畑があった場所であることを示している場所だと思います。

 

古来エトルリア語が影響している「パーチナ」

カンティーナ外観

パーチナ看板古来のエトルリア語から来ている言葉が影響している「パーチナ」
「パーチナ」という名前についてですが、パーチナが「パクナ」というワインをリリースしています。これはエトルリア語で、昔の日本語同様、右から左に読むらしいのですが、「パーチナ」の語源となったものとみられています。

一番最初にアクセントを置く「パーチナ」はイタリア語的にも珍しい
それこそイタリア人に言わせると、Pacina「パーチナ」という単語があった時に、「パチーナ」ってチの部分に強いアクセントが一般的に置かれるはずなんですが、一番最初にアクセントを置く「パーチナ」はイタリア語的にも珍しく、古来のエトルリア語から来ている言葉が影響している現代では変わった発音となっています。

セラー内高度な農業技術を持っていたエトルリア人
ローマ人に滅ぼされたエトルリア人がどういう民族だったかのか、今だに解明されていない部分が多いのですが、ただ、ものすごく高度な農業技術を持っていたと言われています。つまり、ここにエトルリア語のワインがあるという事は、ローマ人よりも遥かに前からエトルリア人がワインを造っていた土地だと言われています。

修道院の人達が12世紀からワインを造っていたかもしれませんが、そこから1000年、ひょっとすると、もう少し前からブドウ栽培とワイン醸造がなされていたのではないかと言われています。彼らのワイナリーは修道院の名残が随所にあって、地下を降りていくと「ウナギの寝床」みたいな小さなほら穴があって、そこで樽熟成をやっています。床も土と石灰を叩いてつくったようないわゆる「たたき」(三和土)で造られています。修道院時代を思わせる昔ながらのもので、数百年前から使われているセラーで今も熟成していますね。

畑
ブドウだけに偏らないバランスのとれた農業を行う
今から40~50年くらい前に、パーチナがその建物とその周りの40~50ヘクタール土地を購入しました。その中の10ヘクタールをブドウ畑として利用しています。その他の数ヘクタールの土地は緑肥用や、麦を植えたり、マメ科の植物を植えたりと輪作を行っています。残りの数十ヘクタールは森に囲まれている状況となっています。「一つの農園の中自体で、ひとつのモノカルチャーが強くては何らかの不具合が起きやすい」と自然科学者であるジョヴァンナの父の提唱していた事です。もちろんワイン造りをメインに進めていたとは思うんですが、ブドウ畑だけではなくて、色々なものを植える。バランス良く農業を進めていく事を良しとして、やってきたワイナリーと言えます。

「地力」を回復させる為、ブドウ畑を5~10年休ませる
僕が彼らのワイナリーに行って一番びっくりするのは、ブドウ畑の使い方です。例えばブルゴーニュの「ロマネコンティ」って、畑って石壁に囲まれた何ヘクタール下の区画を指しますよね。その畑にブドウの樹全部植えて「10年休ませる」そんな事しないですよね。あくまで例えばの話ですよ、、(笑)きっと、ずっと何らかの形でブドウを栽培しワインを造り続けるじゃないですか。

「贅沢な土地を使ってダイナミックに輪作を行っている」
パーチナが本当にユニークなのが、樹齢が40~50年と経つとブドウの樹が死んでいくらしいんです。そうするとブドウの畝が歯抜けになってしまう。そこに敢えて新しいブドウ樹を植えるような事をせずに、あまりにも歯抜けが多いと、思い切って周りのブドウ樹も全部抜いちゃうんですね。そこに緑肥やマメ科の植物を植え、土の「地力」を回復される事をやってから、5~10年後にもう一回ブドウ畑として使う。逆にこれまで豆を植えていた畑に今度はブドウ樹を植えようと。パーチナが持つ贅沢な土地を使ってダイナミックに輪作を行っているのです。

「ここまで大胆な畑の入れ替えをする造り手は今まで見たことが無い」
ブドウを何十年サイクルで輪作しているような状態と言いますか、ここまで大胆な畑の入れ替えをする造り手は今まで見たことが無かったので、「すごいな」と思いましたね。話を聞いてみて「理にかなっているな」それが出来たら「本当に理想的だな」とも思いました。

「すごく柔らかい考え方の持ち主だなと思った」
決してパーチナが採っている方法だけが正解と思わないですが、ただワインの世界って、「この区画が良いワインを産み出す」っていうように思われている所があって、そこの畑をできるだけ長く使い倒す事に趣を置く事が考え方が多い中で、彼らはある部分、「全体のバランスが取れていて、クオリティが維持できるのならばそれで良いのじゃないか」という、すごく柔らかい考え方の持ち主だなと思ったんですね。その考え方がパーチナのワインに繋がっていると思います。

夫ステーファノの参加により、クオリティの面で更なる進化を遂げていく

ジョヴァンナとステファノ
夫ステーファノの参加により、クオリティの面で更なる進化を遂げていった
ジョヴァンナのお父さんは亡くなってしまいましたが、ジョヴァンナの夫、ステーファノはミラノ出身で醸造学を学んだ後、キャンティの他のワイナリーで働いていたんですね。「レ ボンチエ」を通じてステファノとジョヴァンナが知り合い、結婚する事になります。結婚した当初、ステーファノは他のキャンティのワイナリーで働いていたのですが、とあるタイミングで「パーチナ」のワイン造りに参加するようになりました。

ステーファノの参加により、クオリティの面で更なる進化を遂げていったように思います。変な言い方になってしまうのですが、ステーファノは「お婿さん」じゃないですか。自分自身のワイナリーではない事もあって、最初はきっとプレッシャーもあったと思います。「おっかなびっくり」という言い方が正しいかどうかは分かりませんが、ステーファノは確実な進歩を進めてきたと思います。

いい意味でリスクを冒せるようにもなってきた
ステーファノと知り合って10数年の間に、(誤解を恐れずに言うと)いい意味でリスクを冒せるようにもなってきたかなと。ちょっと突き抜けた事もトライするようになりました。それこそ、ボトリングまで全く参加防止剤を使わずにワイン造りを始めるとか。最近そういう事をやれるようになったというのは、栽培、醸造、ボトリング、販売に至るまでワイナリーを機能させている事が出来ているからであって、世界中の至る所に「パーチナのファン」が出来ていて、より良い経営が出来ているからこそ、よりワイン造りの世界で「遊べる」ようになってきたのではないかと。今、ステファノは「より自由活発に泳いでいる」そんな印象ですね。

Q.短期的な効率ではなくて、もっと長期的な視点のモノ造りですね。

本来ワイン造り、ブドウ栽培はそうでなければならないと思うんですね。ブドウ栽培は一代で出来る話ではないのですから。例えば今年ブドウ畑を造ったとしたならば、本当にテンションの高いブドウ畑となる時にはもう引退するかしないかの頃で、きっと次世代に引きつぐ頃になると思うんですね。当然ながら次の世代がきっと素敵なワインを造るものだと。

「ジョヴァンナとステファノは親としても物凄く素敵だなぁと思うんです」

家族「ジョヴァンナとステファノは親としても物凄く素敵だなぁと思うんです」
ジョヴァンナとステファノは親としても物凄く素敵だなぁと思うんです。自分達のファミリービジネスをある程度のサイズ感で持っていて、自分たちの子供たちがビジネスに参画してくれたのならばとても嬉しいと思っているはず。だけど、決してそれを強要する事は無くて。「あなたたちは自分たちのしたい事をすれば良いし、学びたいと思う事を学んでくれたらよいと」。

そうは言いつつも、ジョヴァンナ達はほぼ勝算みたいなものも持っていて(笑)。つまり、一度外に行って、外から自分たちの世界を眺めた時に、「自分たちの暮らしてきた世界はまんざらでもないなと。とても素敵な所で意義深い仕事をお父さん、お母さんはしているんだな」と気づくと思っていたんじゃないかと。

実際に、ヴィナイオッティマーナで来日した長女のマリアも元々はオランダの大学で国際法を学んでいたのですが、ワイナリーを継ぐことになります。弟は現在大学生で将来的にワイナリーに参画する事になると思います。

太田氏インタビュー3「パーチナというおもちゃ箱の中にはまぁまぁ面白いものが詰まっている」
パーチナはブドウ畑の広さだけみると10ヘクタールと、一般的には小さなサイズ感の生産者ですが、ヴィナイオータが扱う生産者の中では、ほぼ中規模以上の生産者です。ブドウ栽培以外にも他の農作物を栽培していたり、アグリツーリズモをやっていたりと。アグリツーリズモは現在宿泊サービスのみで食事は無いのですが、やる気になればきっと付帯サービスも出来たりするのではないかと。つまり「パーチナというおもちゃ箱の中にはまぁまぁ面白いものが詰まっている」はずなんですよ。発展や進化させることが出来ると思うんですね。彼らが自分たちで野菜を造ったりしている事を、ほんの少しだけお客さん用に広げていけば、きっと出来ちゃったりすることが沢山あると思うんですね。ジョヴァンナとステファノも「娘や息子たちが帰ってきたら、十分に遊べる環境があるから、手伝ってくれたら嬉しいんだけど」と言っていますね(笑)

インタビューを終えて
自然を尊重し、時に5~10年畑を休ませ地力を高める「パーチナ」。お話を聞いて、とても理にかなった栽培法だと思いましたが、しっかりとやり抜く為には「よほどの強い信念」が無いと出来ない難行だとも感じました。

ステフーァノはとある酒屋の友達からこう言われた事があるそうです。
「なんでお前達は、お前達のキャンティをもっと高値で売らないんだ?世にある高品質を売りにするキャンティと比べてもまったく遜色ないにもかかわらず。逆に値段が安い事で、その値段程度のワインだと勝手に認識されちゃうこともあると俺は思うのだけど。」
ステーファノは、これに対する彼の意見をこう話してくれました。
「確かに彼が言うことにも一理あるよね。だけど、土地もワイナリーも、元々ジョヴァンナの一家の所有で、家賃やローンがあるわけではないしねぇ。僕たちが普通に生活して、子供たちが大学に行くのに困らないくらいの蓄えができて、年1回くらいみんなでヴァカンスに行けるくらいの収入があれば十分。別にいい車に乗りたいわけでもないし・・・アグリトゥリズモもあってそこからも少しは収入があるし、ワインの生産量も極端に少ないわけでもないから、1本のボトルでそんなに利幅を乗っけなくてもいいしね。そしてワインが嗜好品化し過ぎることにも違和感を感じるんだ。ワインはやはり食事と共にあるべきで、それは日常的、普遍買ってもらえた方が造り手としては嬉しいじゃん!」と。

飲み手の気持ちに十分すぎる程寄り添ってくれるステーファノの想い。世界中でパーチナのファンが増えているのも頷けるエピソードでした。続いてPart2では太田氏とワインを試飲しながら、パーチナのワインについてたっぷりと語って頂きました。是非ご覧ください。

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