2006年6月20日 リブランディ突撃取材!ニコデモ・リブランディさんを迎えて

2006/06/20
突撃インタビュー
 
2006年6月20日 ニコデモ・リブランディ氏

リブランディ突撃取材!ニコデモ・リブランディさんを迎えて

ニコデモさんと乾杯
シチリアのオランフリーゼルを訪ねた時、
対岸のレッジョカラブリアを眺めながら、
カラブリアに行きたい~~なんて思っていました。

今回、そのカラブリアを代表するワイナリー
リブランディのニコデモさんの話が聞けるということで、とても楽しみにして突撃してきました!

イタリアのつまさき 700kmの海岸線 カラブリア

リブランディ社の建物カラブリアはイオニア海とティレニア海にはさまれ全長700kmの海岸線を持つ州で、中央にはアペニン山脈の山岳がつらなり、スキーもできる地域もあるなど、さまざまな地形をもつ地域です。

古くはギリシャの植民地が建設され、クロトーネやチロもその時代に作られた町。クロトーネは数学者ピタゴラスが移り住んだ地で今でも大きな学校があります。また農業や観光に支えられる地域で、空港は3つもあるほどです。

カラブリアを代表する農作物としては、いちじく、くり、フルーツ、ペペロンチーノなどが上げられ、羊ややぎの肉、ペコリーノチーズサラミが特産です。

ペペロンチーノを使ったウンドゥイア(豚肉、ウイキョウ、塩、ペペロンチーノなどを腸詰にしたもので、ペースト状)やサルデッラ(いわしの稚魚にペペロンチーノ、ウイキョウ、塩、オリーブオイルを加えたもの)などは、カラブリアの伝統食材として有名なんですね。

古代に遡るワイン造りの歴史
カラブリアに2800年前にギリシア人がぶどうの苗木を植えたといわれていますが、最近の研究ではそれ以前からぶどうを植えていたという説が有力です。

また、古代ギリシアの勝者に送るワインとして捧げられていたのがチロワインであり、2000年前には、アンフォラにつめられたワインが、北イタリアやEUに輸出されていたほどいいワインが作られていました。ワインの先進国というわけだったんですね。

カラブリアには13のDOCと12のIGTが現在ありますが、主なものはチロとメリッサDOCでほぼカラブリア全体の生産量の白96%、赤91%をしめています。

チロやメリッサ以外は衰退の一途をたどりカラブリアから、1900年代にやアメリカカナダへ移住するものが増え、1950年代には北ヨーロッパへ多くのものが移住しました。つまり畑は捨てられてしまったのです。

カラブリアNo1 品質のリブランディは4代目のファミリー企業

私達は、この地でぶどうを栽培してきた一族で私で4代目のファミリー企業です。
私の兄が1950年に、初めてボトリングを開始しました。今では、359ヘクタールを所有し、うち232ヘクタールがぶどう、100ヘクタールがオリーブ畑となっています。

輸出が50%、国内が50%。最新の醸造設備を完備した、カラブリアで質量ともにNo.1のワイナリーです。私達は高品質なワイン造りにこだわっていますので、DOCやIGTが中心のワイン造りです。

リブランディ社の醸造設備スクリューキャップなどのワインは全く造っていません。発酵時に低い温度で発酵をすすめ、ステンレスタンクで温度管理をしながら熟成させ、それを年間ボトリングし、管理しています。

 

品種実験への注力と地熱を利用した低木仕立てによるブドウ栽培

私達は、早くから、カラブリアで栽培されている159のぶどう品種を採取して、質の良い品種を77品種にDNA鑑定で絞り込みました。

80年代には、国際品種の波があり、リブランディもカラブリアで始めて、国際品種を植えて、クリトーネやグラヴェッロを造り、カラブリアのポテンシャルの高さを示しました。

また90年代には、在来品種に世界的な注目が集まり、従来研究してきたことの集大成として、リブランディが造ったのが、マリオッコ種によるマーニョメゴーニョです。

マリオッコ種は栽培が難しい上に、収量が少ない品種のため、絶滅の危機にさらされていたのをリブランディが復活させたのです。

カラブリア風景とワイン畑リブランディの仕立ては、アルベレッロカラブレーゼ仕立てでこれは、伝統的な低木の仕立て。
私達の畑は粘土質なので、日光の反射が少なく、2つの海やシーラ山に囲まれ、寒暖の差が激しいため、地熱をすぐにぶどうの房に伝えるように低い仕立てとなっています。

一通り、その後ワインについての話を聞き、テイスティング。 とても体系だっていて、わかりやすいお話を聞くことが出来ました。

聞けば、このニコデモさん、以前は、長く高校で数学の先生をされていたのだそうです。

遠くコペンハーゲンまで、引き売りしたんだよ「哀愁がただよってね」

その後、2人だけでお話するお時間を頂戴しました。

アッピ「以前は数学の先生でいらっしゃったんですね。先生をしながら、ワイナリーの手伝いをされたのだとか」

ニコデモさん「1951年~のボトリング開始当時まだまだ、リブランディは小さなワイナリーで、私は兄を助けて
いました。教師をしながら国内外に営業して歩いたんですね。」

アッピ「消費地から離れていることでの難しさはありましたでしょう?」

ニコデモさんはのぞきこむように、青い目でじっと見つめられました。

赤白ワインを前にワイナリー初期の苦労話を話すニコデモさんニコデモさん「車にワインを満載して、北に運んで案内したんです。カラブリアのチロから、コペンハーゲンまで
いったんですよ。チロからロンドンとか。『とにかく正直にやろう』これだけでした。‘テッレロンターネ’をご存知
ですか?あれは、コペンハーゲンに行っていた夜にチロを思って、哀愁漂ってね。テッレは大地という意味。ロンターネは遠いという意味。そのときできた名前です。」

アッピ「すごい大変な情熱だったんですね~すばらしいです。」

ニコデモさん(思い出してほほえみながら)「ドイツのワインの雑誌として有名な‘Vinum’という雑誌があるんだけど、それに、うちのワインが取り上げられたというのでみたら、笑ってしまったよ。『カラブリアのリブランディが成功を収めている。元教師が、エノテカ、レストランを訪ねて歩いた成果が現れてきた』なんて書かれたんだ。」(くすくすと笑う)

アッピ「見ている人は見ていてくれたんですね」

ニコデモさん「でも今思えば、私達が最南端の土地だから良かったのかなと。人ができないことをしたから今があると思うんだよ」

アッピ「僭越ですが、私達も、東北の人口6万の小さな町で、最初ワインを売るのに苦労しました。ところがインターネットに出会って、遠くの消費地の方とも、お話が出来たり、注文を頂いたりできるようになったんです。」

ニコデモさん「君らのインターネットが僕の車ってわけだね。でも、考えることは出来てもそれをやりとおすことは本当に困難だよね。仕事は正直にそして計画的にやらないとうまくいかない。」

アッピ「それにしても、ものすごい情熱ですよね。なにが、ニコデモさんをそうさせたんでしょうか?」

ニコデモさんと試飲するトスカニーアッピニコデモさん(ちょっと考えて)「父が畑でぶどうを作っていたから。僕は小さい頃から父を手伝いたい、農業がしたいと思っていたんだ。だから、父に『畑仕事がしたい』と言ったら反対された。だから僕は教師になったんだけど、そういう想いがずっとあったんだね。」

ニコデモさん「ところで、僕のワインでどれが一番好きだい?」

アッピ「グラベッロももちろんおいしんだけど、マーニョメゴーニョ。やさしい味わいがなんともエレガントで好きです。最近は何か個性的でびびっと響くワインないかなぁなんて思っているせいかもしれませんが」

ニコデモさん「さんざんワインを飲みつくした人は、そうだよね。アメリカのジャーナリストでバートンアンダーソンという人がいるんだけど、マーニョメゴーニョのファーストヴィンテージの試飲会に来て、『おいしかった!ものすごい可能性を感じる』と言ったんだ。そして、マーニョメゴーニョをアンダーソンの選ぶ世界の重要な100の赤ワインに選んだんだ。そして、次に、チロのトラットリア『アクラドーロ』でマーニョメゴーニョと23タイプのアンティパストの体験をしたら、彼は『爆発だ~~』と叫んでいたよ。君の言葉で彼を思い出した。」

インタビューを終えて
是非カラブリアにおいでといわれてお別れをしました。いつもローマまでは行くものの、そこから南に行くまでに至らず。

そんなイタリア最南端の地から、ワインを積んで売り歩いたニコデモさんの意気込み。今の成功はこの時のご苦労があったからこそなんだとしみじみ感じた次第です。

僭越ながら、トスカニーも、ニコデモさんの情熱に負けないようにがんばりたいなぁと思いました。

テッレロンターネ、
ご苦労を偲んで飲みたいワインになりました。

ニコデモさんとリブランディのワインを持って記念写真
リブランディのワインはこちら⇒
突撃インタビューバックナンバーはこちら⇒